遺伝子の差とモチベーション

「40代とか50代になっちゃうと、その遺伝子の差みたいなのが如実に表れてくる。」

遺伝子の差とモチベーション
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何か自分に自信がつくようなこととか、ほんと小さいことでもいいので、何か成功体験をつけるとかってことは、早いうちにやったほうがいいです。40代とか50代になっちゃうと、その遺伝子の差みたいなのが如実に表れてくるので、かわいそうになります。そうなっちゃうと、やる気が出る日が少なくなっていくので「俺の人生もうこれでいいや」となってしまいます。

— 堀江貴文(起業家)

「親ガチャ」といった流行語に象徴的ですが、運命は遺伝子に委ねられているといった考え方には深い納得感が伴うものの、なかなか認めたくない自然の無常を感じさせるものがあります。遺伝子決定論は、環境や教育で運命は変えられる、自分はいくらでも変えられるという楽観の対極に位置するものだからです。

髪の毛や眼の色、あるいは背丈といった見かけの特徴が遺伝することは視覚をとおし経験的に明らかです。さらに性格や情動、そして知能まで遺伝で決まってしまうのだとしたら、根本的な人間性やその他、何もかもが自分ではどうしようもない運命にあるという無力感に襲われても仕方がないと思います。

とはいえ、身体的特徴以外の多くの形質の遺伝率はおおざっぱには5割程度、高くても8割ぐらいです。「結局は遺伝だ」といっても、すべてが遺伝で決まるわけではまったくありません。同じ両親から産まれた兄弟姉妹でも見た目や性格、頭の良さなどに、大きなばらつきがあることは経験的な事実です。核家族化と少子化のなか、兄弟姉妹や親戚の子どもといった周囲を観察する機会が減ったことも、「親ガチャ」といった決定論的な諦念が流行る理由なのかもしれません。

良い遺伝子を授かっているはずの人でさえ、自慢できるのは出身高校名だけなんてことも珍しくはありません。そもそも、遺伝的なポテンシャルが等しい人々が皆同じような人生を送るわけでもありません。遺伝をエクスキューズにする前に、このようなことも思い出したいものです。

とはいえ、堀江さんによる、「年齢を重ねると遺伝子の差が如実に表れてくる」ので、若い頃に成功体験を重ねるべきであるという指摘は、それなりに有益でしょう。

例えば、知能の遺伝率は年齢とともに増加し、大人になって一定値に近づくことが知られています。若い頃ほど遺伝以外の要因の影響が強いということです。見た目にしても、歳をとるほど両親、祖父や祖母に似るようになり親戚に驚かれるといったことを経験する人は多いと思います。こういった傾向は、人が年月を重ねるにつれ、遺伝子の設計の示す最終型に近づいていく過程ではないでしょうか。

よって、遺伝が規定する自分の最終型以上の成果を生み出すチャンスがあるとすれば、それは人生の若いころに現れる可能性が高いのです。遺伝よりも環境やその他の影響が強いそのような時期に、自分のポテンシャル以上の成果を出せるような流れに乗る機会を見つけ活かすべきである。これは悪くない助言のように思います。


遺伝についての入門書:

安藤寿康『日本人の9割が知らない遺伝の真実

堀江貴文氏の近著:

堀江貴文『金を使うならカラダに使え。老化のリスクを圧倒的に下げる知識・習慣・考え方