近代西洋文明の終焉

「破綻したマルクス主義に代わるイデオロギーとして、そして「歴史の終わり」のイデオロギーとして君臨するどころか、リベラリズムは次に倒れるドミノとなるだろう。」

近代西洋文明の終焉
Photo by Greg Rosenke / Unsplash

20世紀後半、自由社会を標榜する西側諸国と共産主義を掲げるソビエト連邦が対立した冷戦期は、核戦争の不安が常につきまとう時代でした。1990年あたりを境にベルリンの壁崩壊、そしてソビエト連邦の崩壊といった一連の歴史的イベントが、この不安に一旦終止符を打つことになります。この当時すでに物心がついていた人であれば、ぼんやりとした「正義」が世界全体を自由へと導くまさに「蒙を啓く」過程にあるかのような、楽観的な雰囲気に満ちはじめていたことを覚えているのではないでしょうか。ミハイル・ゴルバチョフのはげ頭に目立つあのあざを、来る希望に満ちた世界地図を写したもののように感じていた脳天気な子どもは、私だけではなかったはずです。フランシス・フクヤマによる著書『歴史の終わり』は、そのような時代の雰囲気をよく捉えているからこそ、いまでも(批判的にであることが多いとはいえ)取り上げられるのだと思います。

ただし、西洋発のリベラリズムが人類史の最終地点ではなく、社会の理想的なありかたを支える思想として持続可能なものでさえないという主張は、当時から少なくありませんでした。激しく対立したとはいえ、共産主義もリベラリズムも、西洋の発明したイデオロギーであり、その基礎にモダニズムという欠点を共有しているという指摘には興味深いものがあります。

欧州に生まれたモダニズムは既に終焉を迎えている。よって、モダニズムを基礎に成り立った社会は崩壊する運命にある。

実に、マルクス主義―歪んだ原理に基づいて構築された近代社会の傍流―の完全な失敗とソビエト連邦の劇的な崩壊は、近代性の主流である西洋リベラリズムの崩壊の前兆にすぎない。破綻したマルクス主義に代わるイデオロギーとして、そして「歴史の終わり」のイデオロギーとして君臨するどころか、リベラリズムは次に倒れるドミノとなるだろう。

世界観としてのモダニズムは疲弊し、今や人類にとって危険でさえあるため、来るべきポストモダンの時代の新たな原則は、主に非西洋文化、特に日本文明の経験から引き出される必要がある。1

(梅原猛「森の文明:ポストモダンに道を示す古代日本/原題:The Civilization of the Forest: Ancient Japan Shows Postmodernism the Way」〔『At Century’s End: Great Minds Reflect on Our Times/未邦訳』所収〕)

これは日本の哲学者である故・梅原猛氏の論文からの引用です。出典のジャーナルが世に出た1990年代前半は、経済大国としてGDPでアメリカに追いつき、追い越すのではないかと恐れられた日本の国際的プレセンスが最も高まった時期です。そのような下地があってこそ、言語障壁もあり普段であれば興味を持たれず、耳を傾けられることがない東洋の一国である日本の思想家の主張が、このようにして英文ジャーナルに掲載されたのでしょう。

この論文の発表から、日本のもつ政治経済的な国際的プレゼンスは低下をつづけました。日本社会は「失われた◯十年(◯は任意)」や少子高齢化に対する無策で自滅の可能性まで噂されるようになり、東洋対西洋の文脈におけるこのような議論は、今では中国脅威論に完全に置き換えられた感があります。脅威とみなされること、興味を持たれなくなること、どちらがよいのかはわかりません。

一方、共産主義との衝突を生き延びた西側社会ですが、紛争や植民地主義による禍根の精算方法として発展した多文化共生や、欧米のヘゲモニーを維持するためのグローバリズムをリベラリズムが取り込む過程で多くの矛盾が表出し、その解決に苦しみながら停滞しているように感じられます。欧米における移民・難民問題に端を発する数々の市民レベルでの衝突は、その象徴のひとつといえるでしょう。さらに、特にネット言論界隈で激しいジェンダー問題や男女間の対立も、男女の協力が個人の生存のために必要とされなくなり、個人主義が生殖や後続世代の存続に価値を見出さなくなった西洋的モダニズムの影響であるといえるでしょう。共産主義と同様、この先、リベラリズムは内側から崩壊していくのでしょうか。

特に欧米からの外圧に弱い第二次大戦後の日本社会は、このように停滞するリベラリズムを引きずる欧米や、強引なグローバリズムを推し進める国際機関を十分な評価や批判を行わずに追従しがちです。現代日本は、リベラリズムを置き換えるに値する固有の文明を持っているのでしょうか。その主張の詳細への評価は別として、梅原氏がかつてしたように、それをしっかり外に向けて主張できるのでしょうか。それがないのであれば、日本はすでに固有の文明を失ってしまったということなのかもしれません。

1 原文:Modernism, born in Europe, has already played itself out in principle. Accordingly, societies that have been built on modernism are destined to collapse.

Indeed, the total failure of marxism — a side current of modernist society built on warped principles — and the dramatic break-up of the Soviet Union are only precursors to the collapse of Western liberalism, the main current of modernity. Far from being the alternative to failed marxism and the reigning ideology “at the end of his tory,” liberalism will be the next domino to fall.

Since modernism as a world view is exhausted, and now even constitutes a danger to mankind, the new principles of the coming postmodern era will need to be drawn primarily from the experiences of non-Western cultures, especially Japanese civilization.


出典:

ネイサン・ガーデルズ編『At Century’s End: Great Minds Reflect on Our Times

参考書:

フランシス・フクヤマ『歴史の終わり/原題:The End of Hisotry and the Last Man