消費社会とアメリカ人の幸福
「彼らは手に入るものを掴もうと急ぐあまり、それらを楽しむ時間を見つける前に過ぎ去ってしまうのではないかという永遠の恐怖に苦しんでいるように見える。」
アメリカ合衆国は資本主義がもっとも素直な形で発展した社会です。資本家やビリオネアを思い浮かべるとき、まっさきに名前が上がるのはビル・ゲイツ、マーク・ザッカーバーグやイーロン・マスクといった、シリコンバレーなどアメリカ西海岸で活躍する起業家たちです。資本家が最もえげつなく稼げるのがアメリカ社会であり、それを支えるのはえげつない消費者たちと言えるでしょう。
活発な資本主義によってアメリカは消費行動の選択肢に非常に豊富な社会になっています。ただし、豊富な選択肢が人々を幸せにするとは限りません。必要以上の選択肢は人々を惑わせ、逆に、最善の選択をすることを難しくするからです。19世紀にアメリカを旅したフランス人政治思想家トクヴィルでさえ、このことに気づかされたようです。
米国では最も自由で最も啓蒙された人々が、世界一幸運な環境で生活しているのを見た。しかし、彼らの姿は常々雲のようなものに覆われているように私には感じられた。彼らは重々しく、快楽の中でさえ物悲しくさえ思えた。… 米国に住む人々は、まるで不死を確信しているかのように、この世の品々に執着している。しかし、彼らは手に入るものを掴もうと急ぐあまり、それらを楽しむ時間を見つける前に過ぎ去ってしまうのではないかという永遠の恐怖に苦しんでいるかのように見える。彼らはあらゆるものを掴み取るが、何も受け入れず、新しい快楽を追い求めるために、すぐに掴んだものを手放してしまうのである。1
(トクヴィル『アメリカのデモクラシー/原題:De la démocratie en Amérique』)
トクヴィルのこの名著では、現代でさえ通用するかのような生き生きとした南北戦争前、19世紀当時のアメリカの描写にしばしば驚かされることがあります。トクヴィルの観察眼がとくに優れていたことは、現代のアメリカ合衆国を深く知る上で『アメリカのデモクラシー』がなかば必須の読書とされることからも伺えます。同時に、アメリカ人の気質に当時から現代にわたるまで、あまり変わっていない部分が少なくないということでもあるのでしょう。
余談ですが、この記事の執筆者はアメリカ生活が長く、数年ほどカナダで暮らしたこともあります。どちらも豊かな社会ではありますが、こと消費活動に関しては、アメリカ国内における選択肢の多さ、商品バリエーションの豊かさ、そして安さを思い知らされました。例えば、ネットを使ったショッピングでは商品価格の比較などが手軽にできますが、アメリカ、カナダの両国で同時に小売を展開するオンラインショップを覗くと、価格ともにカナダではまるで敢えて規制をしているかのようにバリエーションに乏しく、価格も比較的高め、セールなども頻繁に行われていない印象を持ちました。お酒にしても、認可された酒類専門店でしか買えないため、アメリカほど気軽に楽しめるような雰囲気はありませんでした。
それでいてアメリカ人とカナダ人、どちらがより豊かに生きているかと問われると、単純ではありません。仕事の多さや収入の高さ、物質の豊富さといったアメリカの資本主義的な豊かさや政治的、文化的発信力を羨むカナダ人は少なくないでしょうが、その一方、生存に必要程度の健康保険さえ得られない競争社会の残酷さに恐怖を感じカナダに移住したアメリカ人にも出会いました。原理主義的な競争の勝者への崇拝と、それに伴う傲慢さからアメリカを嫌うカナダ人が少なくないことにも気付かされました。
地理的に隣接し、その比較的短い歴史や文化において、色々と似通っているところがあると感じる両国です。共通点が多いからこそ、両国の違いの部分が際立つとも言えるのでしょう。経済が回ればよい、選択肢が多ければよい、より自由なほうがよいとは必ずしも言えないと感じたことを思いだします。
出典:
トクヴィル『アメリカのデモクラシー/原題:De la démocratie en Amérique』
参考書:
宇野重規『トクヴィル 平等と不平等の理論家』