働きすぎたことの後悔

「一生懸命働きすぎたことを後悔する人生にしてはいけない。」

働きすぎたことの後悔
Photo by Cristina Gottardi / Unsplash

緩和医療に看護師として携わっていたオーストラリアの作家ブロニー・ウェアさんは、終末期の患者のあげる後悔として最も多いもののひとつが、一生懸命働きすぎたことだと書いています。

エリート会社員であるジョンと妻マーガレットは5人の子どもを育てました。子どもが巣立ったあと、仕事を持たない主婦マーガレットは寂しく、ジョンにリタイアして余生を一緒に過ごして欲しいと伝えていました。しかしジョンは、老後をより豊かに暮すための蓄えを増やしたいことと、仕事が彼に与えていた高い社会的地位に自尊心と快さを感じていたため働き続けました。マーガレットは寂しさを隠せず、15年間にわたり同じようなやりとりを続けていました。そして、「あと一年だけ」と最後の延期を約束した年に、妻は不治の病にかかってしまいます。そして、退職予定日の3ヶ月前に亡くなってしまったのです。

ブロニー、人生について一つだけ語ることができるなら、これだよ。一生懸命働きすぎたことを後悔する人生にしてはいけない。 最期に直面する今になって後悔するとは思っていなかった。だが心の奥底では自分は働きすぎているとわかっていた。マーガレットにとってだけではなく、自分にとってもね。周りが自分のことをどう思うかなんて気にするべきではなかった。今のように。こういうことって、なぜ死に際まで気づくことができないんだろう。仕事を好きでそれに自分を捧げることは悪いことではないが、人生にはそれ以上のものがある。バランスが重要なんだ。バランスが。1

(ブロニー・ウェア『死ぬ瞬間の5つの後悔/原題:The Top Five Regrets of the Dying』)

リタイア後の家族との時間の計画を練っていても、ものごとは計画通りに進みません。一生懸命働くことが自分のためではなく、パートナーに豊かな生活を与えるためであるという自負があっても、彼女が求めていることが金銭的な援助であるとは限りません。妻との時間を先延ばしにしすぎたことで孤独な老後を過ごすことになった夫の言葉には、深い後悔が感じられます。

働きすぎることへの批判は日本社会ではありがちとさえ言えるでしょう。仕事よりも家族を優先する文化は西洋的な価値観であり、日本人(の男)は家庭を顧みず働きすぎるという論調は、昭和の頃から珍しくありませんでした。とはいえ、価値観が異なる日本において、働きすぎて家庭を顧みなかったことを後悔する声が多いという話は、なかなか聞くことがないように思います。むしろ、仕事一筋であったことに対して称賛や尊敬を表することのほうが、一般的だったとさえ言えるのではないでしょうか。

昭和60年、世界の本塁打王・王貞治さんの父親が逝去したとき、プロ野球はシーズン中でした。球界の盟主読売巨人軍の監督であり、遠征中でもあった王さんは仕事人としての責任感から、父親の通夜にも告別式にも出席しない意向を示していました。

このような責任感は近年弱まったと言えるでしょうが、家庭より仕事を優先するのが一家を支える男であるという倫理観が強かった昭和日本のエピソードとして、たいへん象徴的なものです。私は日米間にある野球をとおした比較文化論で知られるアメリカ人ライター、ロバート・ホワイティングさんの著作でこの話を初めて知りました。

結局周囲に促され、王さんは告別式にだけは出席したようです。家庭を優先すべきという価値観からは冷淡に思われる話ですが、親の死に目に会わないことが親族を軽視していることには必ずしもならないことは、指摘されるべきだと思います。むしろ厳しい労働倫理観をもつ親こそが、重要な仕事への責任感が強く育った子を誇りに思うような時代の雰囲気があったことも確かではないか、ということです。

とはいえ、ワークライフバランスが重要視される現代の先進国の労働環境において、何にも差し置いて仕事を優先すべき理由は失われつつあります。生産性の優先が進むにつれ、終身雇用といった、資本主義的に非効率なシステムの恩恵を受けられる労働者は、年々減り続けています。なかば使い捨て部品のように雇われたり解雇されたりする労働者が、特定の企業や仕事場への忠誠心をもつことはまったく理にかないません。不況のたびに調整弁とされ、裏切られることがわかっているのですから。

ある意味、西洋人が概して仕事ではなく家族優先であることは、人の出入りが激しい職場では家族を代替するようなコミュニティーを形成しにくいといった要因もあるのでしょう。グローバル化の圧力によって、日本社会における労働の意味もこの先どんどん変化し、より西洋的なものに近づいていくのかもしれません。だとしたら、日本でも、働きすぎて家庭を顧みなかったことを人生で最大の後悔としてあげる人が増えていくのかもしれません。

1 原文:‘If I can tell you one thing about life, Bronnie, it’s this. Don’t create a life where you are going to regret working too hard. I didn’t know I was going to regret it until now, when I’m facing the very end. But deep in my heart, I knew I was working too hard. Not just for Margaret, but for me too. I would love to have not cared what others thought of me, as I do now. I wonder why we have to wait until we are dying to work things like this out.’ Shaking his head, he kept talking. ‘There is nothing wrong with loving your work and wanting to apply yourself to it, but there is so much more to life. Balance is what is important, maintaining balance.’

出典:

ブロニー・ウェア『死ぬ瞬間の5つの後悔/原題:The Top Five Regrets of the Dying

日米比較野球文化論:

ロバート・ホワイティング『和をもって日本となす/原題:You Gotta Have Wa: When Two Cultures Collide on the Baseball Diamond